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サド公爵婦人 感想 関口瑛

白石加代子さま

 誰が何を言おうと(某評論家のような)、『サド侯爵夫人』は素晴らしい舞台でした。とりわけ、加代さまの演技は絶賛に値します。これまで『百物語』でも楽しませてもらっていますが、それはいわば実力のうち、自家薬篭中の演技の賜物と申すべきでしょう。しかるに今回のモントルイユ夫人は、「うまくて当たり前」を超えた熱さや気合い、女優魂といったものを私は感じました。あえて言えば、あの『劇的U』のときのような不退転の存在を目撃したといっていいかと思います。
 ドラマの上では損な役どころなのですが、加代さまの緩急自在な演技でルネの貞淑や美意識が浮き彫りになり、不在のサド侯爵の実像もあぶりだされていたのではないでしょうか。何より、身体性の希薄な・会話になりにくい装飾的なセリフの羅列が生身の生きた語りや挙措動作に練り上げられていたと思います。ご自身の自在な演劇的身体性を抑制しつつ、そこに「人がいる、煮ても焼いても食えぬしたたかな女がいる」とでもいった臨場感があふれていました。18世紀革命期のパリだとか、貴族のサロンだとかいった背景すら薄れて普遍的な葛藤が・ドラマがモントルイユ夫人(白石加代子)を軸に現前化されていたといえばいいのでしょうか。言い換えれば、ミシマのコトバは見事に女優の身体性によってねじ伏せられていたのです。そのパワーはほかの女優さんたちにも波及、相乗効果をもたらしたのでしょう、退屈に堕するかもしれぬ装飾的言語の羅列は見事に身体性を獲得していたのでした。
 ミシマは執筆にあたって、新劇俳優の身体性は鼻から信じておらずコトバの自立性だけを目論んだようですが、この舞台はどんなコトバも俳優しだい・演出しだいで身体性を獲得することができるということを立証したといっても過言ではないでしょう。
 それ(島次郎の美術・舞台装置も含めた全体的な完成度)は、もちろん萬斎さんの演出力と不可分ではないでしょう。蒼井優、麻実れいを含め皆さんが身体性を獲得していたのは演出のイメージが確固として持続されて稽古を積み上げたからでしょう。そもそもこの6人の女優さんたちを起用したところに、コトバの退屈な朗誦劇になりかねない原作を身体性でねじ伏せるイメージがあったとも察します。萬斎さんの演出の才能は、『国盗人』や『中島敦・山月記』などで感服していましたが、改めて実感させられました。
 
 加代さまのしばい以外はあまり見ていない私ですが、『サド』も1965年の初演しか見ていない私ですが、この舞台は終生(先行き短いとはいえ?)記憶に残るものとしてメモさせていただきました。

2012年3月19日
                                   関口  瑛

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